礼拝宣教から20250112

2025年1月12日 (南山城伝道協議会講壇支援)

「オトコマエにも程がある」 岸本兵一牧師

サムエル記上16章6~10節

1月は新島じょうが召された月。彼はオトコマエ(smart)に遠い不器用な人でした。遭難そうなんした自由民権 板垣退助をアイスクリーマーと共に勇み見舞いますが、出来上がったのはただドロドロの液体。しかし臨終の床にあっては「歳を送りて悲しむを休めよ病るいの身、お壮図を抱いて此の春を向かう」とんで未完の大学校に最期まで情熱を傾けました。私が牧師試験を受けた頃、そこには受験生が試験官に意見する場がまだありました。完璧で優秀な者を選ぶ目が、一見ぱっとしない者を排除する~その愚を論じたのです。神の民が初めて国王を求めた時も、主は「人の目に映る容姿でなく、心によって見る」選びを求められたのです。「見るべき面影もない(イザヤ53:2)」、神に愛され 心に適う者を良しとされたはず、だったのでした。