礼拝宣教から20240623

2024年6月23日 (教会員による証)

「祝福された居場所」 柴垣孔明ひろあき 教会員

ヨハネによる福音書14章2~3節

私は多感な学校時代にいじめにい、人間関係について行けませんでした。中学3年の時、愛知で同じ歳の生徒が自死した報道がありました。「周りに迷惑をかけてる」「どこにも所属してない」が合わさると自死をはかるといわれました。当時の私も危ない状態でした。はじめに経験した居場所は社会復帰を促す空気がありました。でもフリースペース「おやすみ」は目的を持たない居場所として斬新ざんしんに思えました。補助金も得て運営する事業となる時にはめました。利用者に意図しないプレッシャーを与えないかと考えたのです。去って行った人もありましたが、そこにも関わってゆきたいと願ってます。イエスが生まれた時の居場所は葉桶ばおけでした。イエスは場所を持たない人に「もしなければ用意しに行く」と約束されました。そのことに私もたずさわってゆきたいと思います。