礼拝宣教から20250209

2025年2月9日 (京都教区交換講壇)

「目が開かれた先にあるもの」 内山友也牧師(京都葵教会)(要旨)

マルコによる福音書10章46~52節

バルティマイはイエスと出会った際「ダビデの子イエスよ、私をあわれんでください」と叫んだ。これは「私の苦しみを受けとめて欲しい」という切実な叫びであった。ただ、それを聞いた周りの人々は叱りつけて彼を黙らせようとした。悲痛な心の叫びに、誰も目を向けてくれなかった実情がそこにはあったのである。しかし、イエスだけはその願いに耳を傾け「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言って、バルティマイの目(信仰)を開かれた。バルティマイはこの時「大切にされる(アガペー)」喜びを感じたに違いない。そして、目が開かれた先に広がる神の国の豊かさを知る者へと変えられていった。私たちもまたイエスとの出会いを通して開かれた目がある。そして、イエスは苦しみも喜びも共にしながら、私たちの心の声をいつも聞いて下さることを覚える歩みを大切にしてゆきたい。