2024年8月11日 (南山城伝道協議会講壇支援)
「息子を〇すのか」 岸本兵一牧師
創世記22章6~8節
まず多藝牧師を讃美歌301「やまべにむかいて」で偲びたいと思います(♪み神は厄いをも避けしめ 疲れた魂をも休ます …絶えせず汝を守らん)。『信徒の友』に「私は上手には牧師になれなかった」と寄稿されたのが印象に残ってます。めぐみホームでの先生は、愉快な人でした。さてアブラハムが独り子イサクを献げるお話は、伝承として語り継がれたものを編んでます。ややもすると「主の山に備えあり(14節)」だけをキャッチフレーズのように抜きがちです。ですが、子イサクが負っている重荷を想いたいのです。暗い闇、まるで地獄のよう、重い十字架を子は背負って、非日常の山に父と向かうのです。神は、信仰に犠牲が伴うことを疑わぬ者に「待った」をかけました、「殺すな!」と。不条理な犠牲の死に「待った」をかける神を、私たちは日常の中で見出していたいと願います。