礼拝宣教から20240728

2024年7月28日 (南山城伝道協議会講壇支援)

相応ふさわしい・相応ふさわしくない」 岸本兵一牧師

コリントの信徒への手紙一 11章27~33節

かつて信徒を健啖家けんたんか(大喰い)と揶揄やゆして喜ぶ先輩がいました。当時の教会はエゴと大量消費のアメリカ文化に影響を受けてました。パウロの時代、ローマは他国を隷属化れいぞくかし、毎夜「食べても食べても満足しない」饗宴きょうえんを行い、なお「この豊かさは神からの贈物」と言ってはばからぬ覇権はけん国家の信仰にひたってました。ナザレのイエスはその価値観を根底こんていからくつがえし「わずかなパンも分け合う主の晩餐ばんさん」を示したため、パウロ始め信徒らは迫害を受けます。彼らは主の再臨さいりんを待ち望みました。しかしやがてパウロが手塩てしおにかけたコリントの教会にも、富裕層ふゆうそうによる饗宴の文化が入り込み腐敗ふはいしていったのです。パウロは自身の教会形成の姿勢に、主の来臨らいりんにかこつけた急ごしらえがあったことを知り、自責のねんから苦悶くもんします。そして自分を含む「主の晩餐に相応ふさわしくない者」らを叱責しっせきしたのでした。